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認知のための〈支えるもの〉をどう考えるか
藤波努
創造性開発システム論


行為を「可能ならしめるもの」

水は魚に泳ぐという行為を、大気は鳥に飛ぶという行為を、地面は人間に歩くという行為を可能ならしめる。現代日本語の表現にはなじまないかもしれないが、この「可能ならしめる」という表現がアフォーダンスという概念を説明するには適切だろう。
アフォーダンスとはギブソンが創出した用語であり(*46-1)、生物を取り巻く環境に存在して、特定の生物にある行為や認知を可能ならしめる「もの」を指す。アフォーダンスという概念を用いると、魚が水の中を泳げるのは水の中に泳ぐことを可能にならしめる「もの」があるから、鳥が空を飛べるのは大気の中に飛ぶことを可能にならしめる「もの」があるから、人間が地面を歩けるのは地面に歩くことを可能にならしめる「もの」があるから、というように説明できる。これらの「もの」は、水や大気や地面が提供していると考える点がギブソンのユニークなところである。
ギブソンが活躍した知覚心理学の分野は例外として、アフォーダンスという考え方は、つい最近まで一部の専門家のみが知る特殊な概念であった。広く知られるようになったのは、ブルックスが開発した自律走行ロボットがきっかけだろう。
4輪走行する自動車のような自律走行ロボットを考えてみよう。走行中、ロボットの進行方向に小山があり、そのまま直進するとぶつかってしまうとする。従来のように空間的知識を用いる方法だと、まずカメラで正面にある小山を認識して左方向に進路を変更すれば追突を避けられると判断し、右側の車輪を左側よりも多く回転させて方向転換する。一方、ブルックス流のやり方は、前方右側で車体がやや持ち上げられたら、その傾きの度合いに応じて右側の車輪を左側よりも多く回転させて方向転換する。
ロボットの行動はどちらの場合も進行方向にある小山を左旋回することによって避けることになるが、行動の実現方法が異なっている。ブルックスのアプローチでは、空間認知を行わず、車体の傾きの検出と車輪の回転数の変更が直接結びついている。一見、高度に見えるロボットの行動も、環境から得られる微細な情報の検出と、それに関連付けられた細かな行動の変化を積み重ねることで実現される。ロボットが左旋回することを可能ならしめる「もの」は環境の中にあるのだから、ロボットが適切に行動するには、その「もの」をうまく拾い出せさえすればよい、環境に関する地図的情報をロボットに組み込む必要はないという考え方である。
知的な行動を実現するためには(内部で表現された)知識は必要ないとブルックスが主張し、また実際に効率よく動き回るロボットが出来上がったために、記号処理▼1を基本とする伝統的なアプローチで人工知能を実現しようとしてきた人々は衝撃を受けた。ブルックスのアプローチの背後に、ギブソンのアフォーダンスという概念があったのである。

インタフェースとアフォーダンス

アフォーダンスの概念は、ユーザインタフェース▲を研究している人々にも影響を与えた(*46-2)。デジタル化の波が家電製品に浸透し、デザインが製品の構造から制約を受けなくなりつつある。テレビなどは旧機種のように、ボリューム一体型のスイッチを引き出すことで電源を入れ、円盤式のダイヤルを回してチャネルを選択するような機種はなくなった。今では小さなボタンが並んだリモコンを使うのが普通だ。しかし、リモコンは使いにくい。ボタンにこれといった特徴がないからである。操作パネルに突起したスイッチが付いていれば、押したり引いてみたりしたくなるのが人情、円盤式のダイヤルであれば回してみたくなるもの。スイッチやダイヤルが、使用者に押したり引いたり、回したりといった行為を可能ならしめるものを提供していると考えると、これもアフォーダンスである。説明書を読まなくても直感的に使えるインタフェースは、アフォーダンスを積極的に利用していると言える。
 
アフォーダンスという考え方が議論の的となるのは、それが従来の人工知能研究の源流となっているデカルト▼2的な考え方と真っ向から対立するからである。デカルト的な立場では、我々の外界認識能力は非常に乏しく、誤りやすいが故に見えるものをそのまま信用してはならず、理性による推論の積み重ねを経て初めて正しい結論に到達できると考える。月と太陽が地上から同じ大きさに見えるからといって、両者が地球から同じ距離にあるとは言えない。幾何の知識を活用して初めて正しい距離が得られる。
一方、アフォーダンスの考え方は、必要な情報は既にそこにあるのだから、上手にピックアップすればよいのだというものである。自分で推論を積み重ねる必要がないので、考えることもない。考える必要がないから内面にイメージや図を作り上げ、保存する必要もない。記憶はないから想起もない。内面に作り上げられた外界の像は存在しないと主張する点でデカルト主義と相対立するのである。
我々の認知基盤は感覚を超えた理性にあるのか、それとも理性を必要としない感覚のうちにあるのか。一見すると収まらない議論のように見えるが、実は対象としているものが違う。デカルト的アプローチは我々の感覚ではとらえられない世界を探究するのに適しており、アフォーダンスという考え方は我々が普段あまり考えないで行っている日常的な行動を説明するのに向いている。我々が通常生活している世界での認知を研究する上で、アフォーダンスという概念は有用であろう。


  対応ARCHIVE
  ユーザーインタフェース▲
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  ▼1
記号処理
「記号」とは世界に存在する特定のものを指示するために使われる固有の名前である。伝統的な人工知能研究では、知能を記号の処理と見なし、記号を対象としてある種の計算を行うことで正しい答えを導き出せるプログラムを開発すれば知能が解明できると考えられていた。
  ▼2
デカルト(1596〜1650)
近代哲学の祖とされるフランスの数学者・哲学者。「我思う、故に我有り」という言葉で知られている。絶対疑いようのないものとして最後に残るのは「考えている自分」であると考え、そこから科学を基礎付けようとした。
 
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