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知識科学における情報と知識
下嶋篤
知識構造論


「情報」の定義

ある状況と別の状況との間に性質の相関があるとき、一方の状況が他方の状況について知る手がかりになる。したがって、こうした相関が成立するとき、一方の状況が他方の状況についての〈情報を担う〉といい、これをもって情報の定義とすることができる。たとえば、私の研究室の前にかかっている「在室」と「帰宅」を表す表示板を考えてみよう。表示板は単なる合板と金属の塊だが、これの性質(「在室」の文字の上に針があるか、「帰宅」の文字上に針があるか)と、研究室の内部の状況(私が在室かどうか)の間にはある種の相関がある[★19-1]。というのも、私が研究室に入るときはいつでも「在室」の上に針を動かし、研究室を出るときはいつでも「帰宅」の上に針を動かすからである。こうして確立される相関のゆえに、研究室前の表示板というひとつの状況が、研究室の内部という別の状況に関する情報を担ってくれ、訪問者はわざわざ私の研究室のドアを開いてみなくても、私が在室かどうか分かる。しかし、もし私が入室と退室のたびに表示板をきちんと操作しなかったらどうだろうか。表示板と研究室の内部の間に性質の相関がなくなり、訪問者は、研究室内部の様子をうかがう手がかりとして表示板を使うことはできない。一方は他方に関する情報を担わなくなる。このように、情報は、状況と状況との間の性質の相関に依存するという見方ができ、右の定義はこの点に着目している。

 

知識」の定義

それでは、「知識」はどのように定義できるだろうか。少し複雑だが、次のような定義を考えてみよう。すなわち、人間や、知的ロボットなど、何らかの認知主体が、状況と状況の間の性質の相関に適応し、その結果として、ある状況の性質に基づいて他の状況についての情報を獲得し、これを自分の行動を統制するのに使える方法で貯蔵したとき、この情報を、その主体の〈知識〉としてみよう。たとえば、私の研究室のメンバーの遠藤君が、表示板と私の研究室の内部の間の相関関係に適応し、ある時刻に表示板の「帰宅」の文字上に針があるという事実から、私が不在であるという情報を獲得し、それに基づいて、私のドアをノックするのをやめたとしよう。右の定義にしたがえば、遠藤君がこのとき獲得した「下嶋先生は不在である」という情報は、単なる情報ではなくて、遠藤君の〈知識〉ということになる。このとき、遠藤君は私の不在を〈知っている〉わけである。
さて、右の定義にしたがうと、知識と情報の間に、次のような面白いコントラストが生まれる。
(ア)情報は、状況の相関のみに依存するため、その情報を獲得して利用する知的主体が存在しなくても生成するが、知識はそうはいかない。ある時刻の表示板は、それを見る遠藤君がいなくても、私が不在であるという情報を担うが、この情報が誰によっても獲得されず、記憶されないのであれば、知識ではない。情報と違い、知識はそれをもつ認知主体の存在を前提とするのである。
(イ)仮に遠藤君がその情報を獲得し、記憶したとしても、表示板と研究室内部の状況と間の性質の相関に遠藤君が適応している結果そうなったのでなければ、その情報は遠藤君の知識とは言えない。話がSF的になるが、誰かが遠藤君の脳を遠隔操作して、私が不在であるという情報を記憶にインプットしても、その情報は遠藤君の知識とは言えない。認知主体が何かを知っているというためには、なんらかの有意な性質の相関に対し、自らが適応しているのでなければならない。したがって、遠藤君があてずっぽうで私の不在を推測した場合、仮にそれがたまたま当たっていたとしても、それはやはり知識ではない。
(ウ)有意な相関関係に適応した結果として獲得された情報であっても、主体の行動を統制する形で貯蔵されるのでなければ、それは知識ではない。遠藤君が「帰宅」の表示板を見たにもかかわらず私の部屋のドアをノックしたのであれば、彼は私が不在であるということを〈知っていた〉とは見なされない。遠藤君はこの情報を表示板から得ていたかもしれないが、彼の行動に影響できなかった点で、いわば「死んだ」情報であり、前述の定義からは知識ではないことになる。認知主体の行動ユニットに連結した場所に格納された情報のみが知識なのである。

情報が知識であるための条件

こうしてみると、情報が知識であるためには、主体の存在、相関への適応、行動の統制という3つの条件をさらにクリアしなければならないことになる。この点を突き詰めると、「知識を最大化する環境・組織は何か」という問いは、「情報を最大化する環境・組織は何か」という問いと根本的に異なることになる▼1。そして、知識を目標概念とした研究プロジェクトと、情報を目標概念とする研究プロジェクトの明確なコントラストが現れてくる。こうしたパラダイムに基づく知識研究プロジェクトの詳細については、しかし、他項で展開されるところに委ねることにしよう。
最後にこうした定義の背景を明らかにするために、専門的な研究をいくつか引用しよう。情報についての右の考え方はシャノン▲の相互情報量の定義の中に内在し(*19-1)、ドレツキ▲の意味論的情報理論で明示され(*19-2)、バーワイズ▲ペリー▲、セリグマンらの状況意味論の中で採用されている(*19-3*19-4)。知識と情報を前記のように対照させるやり方は、やはりドレツキの理論の中で最も明確だが、状況と状況の間の性質の相関へ適応を知識の重要な条件とする考え方は、現代の分析哲学の中で台頭してきた外在主義的知識論(ノージック▲ゴールドマン▲ら)(*19-5*19-6)の主流の考え方である。同様の観点は、「近接項」と「遠隔項」の相関への適応を認識の条件とするポラニー▲の暗黙的認識の理論にも内在している(*19-7)。

  対応ARCHIVE
  知識▲
08 / 18 / 20 / 36 / 37 /
47
  シャノン▲
27
  ドレツキ▲
20
  バーワイズ▲
24
  ペリー▲
24
  ノージック▲
20
  ゴールドマン▲
20
  ポラニー▲
21 / 22
  ▼1
ここでいう最大化とは、量的なそれと質的なそれの両方を意味している。知識の量をどのように計測し、知識の質をどのように評価するかという問題は、したがって、知識の科学にとってもっとも基礎的な問題のひとつである。
 
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